物心ついた頃から海外ドラマや映画が好きで強い憧れを抱くようになり、毎日洋楽を聞き、おしゃれなアメリカでの生活を想像していた私にとって、アメリカ留学は絶対に叶えたい夢でした。
高校の時には10日間、オーストラリアに体験留学したのですが、初めての海外生活、何もかもが新鮮で、とにかく楽しかったことを覚えています。
だた、英語力としては高校での受験用レベルでしかなく、物足りなさが残り、それを原動力に英語勉強にさらに力を入れ、大学も外語大に進みました。
私の進んだ大学は、休学しなくても海外留学することで、そこでの単位を振り替えられるという制度があったので、2年目の春からいざ、半年間アメリカに留学することにしたのです。
アメリカ留学するなら都市はやっぱりロサンゼルスがいい!
ニューヨークからカリフォルニアまで広大なアメリカで、学校を1つずつ探して行くのは大変です。私は大まかに住んでみたい地域から選ぶことにしました。
寒いのが苦手なこと、温暖な地域が好きなこと、日差しをいっぱい浴びて夏にはビーチに行くこと…勉強しに行くのに遊ぶことばかり考えているように見えますが、夢に見たアメリカの学生生活を実現させるには形から入るのも大切!と思ったのです。
そこで私が決めたのはロサンゼルス近郊の大学でした。
しかし、ロサンゼルスは日本人に人気なため、中心部の有名大学はクラスも日本人だらけで、結局日本人同士で固まってしまい、英語能力が十分に身につかないという話をよく聞きました。そのため、私は少し郊外の日本人が少ない学校を選びました。
また、この留学では英会話をマスターしたい!と目標を決めていたので、会話やプレゼンなどが多い学校にしました。
こんなはずじゃなかった!行ってみて知ったショックな出来事
渡米し、いざ留学生活がスタートしたものの、憧れていたおしゃれな学生生活とは程遠いものが待っていました。
まず、学校の周辺は南米移民の方たちが住んでいる地域で、学校の一歩外に出るとスペイン語だらけ!もちろん英語でコミュニケーションできますが聞き取りにくくとても大変でした。
また郊外のため、移動手段がバスしかなく、そのバスでさえ日本のように時間通りに来ないので、暑い炎天下の下で30分以上待つこともありました。
最終のバスを逃す前に帰ってこなければならないため、ロサンゼルスで夜中まで遊ぶこともできませんでした。
また、アメリカは日本よりも物価が高く、短期留学の場合はアルバイトもできないので、できるだけ節約しなければならず、どこへ行ってもお財布との相談となり、ドラマのような生活の実現とはなりませんでした。
アメリカの学校での楽しい寮生活と刺激的な授業
私の学校には寮があったので、滞在はそこに決めました。4人部屋でルームメイトは日本人2人と台湾人1人。
日本人がいることで、お互いの悩みを話しあったり、日本人だからこそわかり合える話をしたりでき、また台湾人がいたことで、英語でのコミュニケーションも生まれ、とても良い環境だったと思います。
また、寮にはプールがついていたので、カリフォルニアの日差しを浴びながら日光浴し、夜は寮のどこかで開かれるパーティーに行ったりと、とても楽しかったです。
授業は最初にレベル分けテストをしてからクラスが決まるので、同じくらいの英語力の生徒と一緒に受けることができました。クラスには日本人、韓国人、台湾人、中国人、メキシコ人、アラブ系の方がいました。
色々な国の生徒がいることで考え方も異なり、その分、自分を主張することがとても重要だと感じ、積極的に会話をするようになりました。先生たちもユニークで自由な方が多く、遊ぶように英語を教えてくれる楽しい授業で、ただ教科書に沿って進むだけの退屈な日本の授業とは全く違っていて、とても刺激的でした。
半年のアメリカ留学でもこんなに変わった!私の英語能力
英語力は半年後くらいから延びてくるという話を聞きます。でも私の留学はたった半年だけ。
正直、本当にこの留学で英語が身についたのだろうか、もっとここで勉強したい、と後悔が募りました。
しかし、日本に帰国する1週間前から、日本語で考えて英語で発言していたものが、英語で考えて英語で発言できるようになり、スラスラと言いたいことが英語で出てくるようになったのです!
自分でも最初は日本語を話しているかと思ったのですが、気づくと英語を話していました。幼い頃からアメリカに憧れ、英語を習得したいと思っていた私にとって、夢が叶った瞬間でした。
短い期間でしたが、アメリカ留学は英語力を含め、私自身を大きく成長させてくれました。
現在私は社会人となりましたが、留学で養った英語力が役に立ち、海外ブランドとの商談や海外出張などにも抜擢され、とても充実したワークライフを送っています!