私の中学校時代の思い出です。
修学旅行先の京都で外国人に話しかけられました。
その時に道案内しただけで、物凄く喜んだ外国人の方とTHANK YOUが忘れられなくて英語を勉強しはじめました。
本当に些細なことではありますが、それから何年勉強したかを数えると飽き性のはずの僕からするとぞっとするほどです。
それだけその時僕の心につけた火は長く長く燃え続けたのでしょう。
国際的な仕事をしたい。その夢を果たすため、いつか海外留学をしたい一新で、猛勉強。アルバイトもやり、叶うかも分からない留学のために頑張りました。諦めないという事を当時15歳なりに一生懸命に体に焼き付けていたのだと思います。
チャンスは17歳目前の高校2年の夏に訪れました。
もしかしたらアメリカに留学へいけるかもしれない、それだけで僕の心は舞い上がったのを今でも覚えています。
アメリカに留学するため、当時16歳の私がしたこと
まずは親の説得です。
それにはダラダラせずに一生懸命アルバイトをしたり勉強したりする姿を見せるところだったかなと感じます。
これがもし女の子になるともっと行かせてもらう可能性が低くなるかもしれません。
「行きたいなら行ってきなさい。」快く送り出してくれた私の両親ですが、後日祖母に母親が海外留学中にすごく心配し、寂しい思いをしていたことを聞かされ、そんな姿を微塵も感じなかったから驚きでした。
どんな親だってわずか16歳の子供がたった一人で海外の知らない場所に行くなんて胸が張り裂けるくらい辛いのです。
どちらかというと楽観的な私の両親ですらやはりかなり心配したようですから、世間一般的にいえば子供がたった一人で海外に行くことをすぐにOKする親のほうが少ないのではないでしょうか。
行くと決まったら決まったで、待っているのは恐怖!
あれだけ行きたかったはずの海外留学のはずなのに、出発日が近づけば近づくほど怖くなるのです。
たった1ヶ月にも満たない夏休みの期間だけの海外留学、いや今言えば留学なんていうレベルでもなくわんぱく海外研修なんてところでしょうか。
とにかく多くの友人に会ったりして気を紛らわせてたような気もします。
出発当日は空港で親に見送られる瞬間のさみしさは今でも胸に焼きついています。
旅行でも1ヶ月なんて1人で行動したこともないはずの16歳にとっては本当に勇気のある行動だったと今でも思うし、怖いと思うのは逆に正常なんだと思います。
道中も波乱万丈
アメリカ・ロサンゼルスへ向け無事に旅立ちましたが、私が乗った飛行機は韓国ソウル経由でした。留学エージェントに渡された紙(入国書類)と、とったばかりのパスポートを握り締め飛行機に乗ったのを今でも覚えています。
しかしその後重要なことに気づくのです。
英語の入国書類だったためどうやって書けばいいかわからず、いきなりすごく焦ることとなります。不運重なり、韓国経由のため当然乗務員は韓国語か英語しか話せず、しまいには乗り継ぎ先のソウルでも同じことに。
その時偶然にも同じロサンゼルスへ向かう日本人を見つけ、無事に入国書類の記入ができました。
実はその時から私の1人で知らないところで生きていくための試練が始まっていたのだと思います。
同時にそれは新たな出会いや可能性を見つけ出すことにつながるのだと、今の歳になってわかるようになりました。
私がアメリカ、そして海外を好きになった理由
長いフライトを終え、無事に大きな土地アメリカ、ロサンゼルスに。
道中は入国書類で助けてくれた日本人グループの方々が一緒に行動してくれたので本当に心強かったです。
ゲートをくぐると助けてもらった日本人グループの出迎えの女性が2人いました。
歓声とともに再会のハグをし、これがアメリカなんだななんて眺めていたら、僕にも優しくハグをしてくれて「よく来たね」と一言。
会ったこともないはずの僕まで一緒に出迎えてもらえたことに心があたたかい気持ちになりました。
初めて行ったアメリカで初めて会う人たちとの出会いはのちの僕の人生にも大きく影響したと思います。
さらにはロサンゼルス滞在中も家にまで招いてもらい、まるで昔からの知り合いや家族のごとくお世話をしてもらいました。
実は後に著名人のお母さまと妹さんだという事がわかったのですが、見ず知らずのためにこんなにも優しくできる人がいるのだということにまず衝撃を受けたこと、そして遠い異国の地でも家族のように接してくれる人が居ることに感動を覚えました。
アメリカでの初めての出会いを機に、もっともっと大好きになったアメリカ。
ロサンゼルス留学先の様子
カリフォルニア州立大学の敷地内にある語学学校でしたので、大学の敷地内での生活は始まりました。
広すぎる芝生とカラッとした気候、あちこちにヤシの木が生えていて、ザ・ロサンゼルスなイメージ通りの留学先でした。
基本キャンパスから出て夜出歩こくことを禁止されていたので、基本学校と学校の寮で過ごす日々でしたが、十分すぎるほど楽しい毎日でした。
英語喋れる気満々でアメリカへ向かった私ですが、世界中の16歳に比べると全く喋れないと気づいたのもここででした。
留学先の選び方
実は元々は英語圏の田舎でのんびりホームステイなんてのが夢でした。
留学する2ヶ月きっての準備だったため、ホームステイはなかなか空いておらず、加え田舎を希望していたのに大都会ロサンゼルスに行くことに。
寮生活なんて日本でもしたことないですし、日本の田舎暮らしで、突如アメリカの都会に向かうなんて、恐怖でしかなかったです。
でも金銭面(留学費用)的にも結果的には安く済み、その時出会えた人との出会い、そして寮生活であったことで授業中も放課後も世界中の留学生と一緒に過ごせたので今ではそれで良かったと思ってます。
見ず知らずの地で孤独の戦いの中で見えた本当の自分
長い間言葉が通じる日本ですら一人旅もしたこともないはずの16歳がアメリカにたった一人で行くなんて大冒険です。
嫌でも知らない人に話しかけたり、なんなら母国語ではない英語で話しかけ仲良くならないと生きていけない場所でもありました。
生きるか死ぬかというわけではないですが、そのくらいおおごとだったのを今も覚えています。
世界中から同じ歳の高校生と触れ合い、見えたのは自分の小ささです。
当日は進学校という小さな世界全てで生きていた私ですから、見ていたのは自分の偏差値と志望校の大学の偏差値。
しかし世界の高校生が見ていたのは、その先のもっと先にある夢でした。
夢のない16歳の私はそれはもう小さな存在のように扱われました。
逆にそれがバネになりもう偏差値なんか気にしなくてもいいんだ、もっと英語を勉強して、もっと国際的なグローバル人材になりたい。漠然ながらもその時味わった刺激は大きな大きなバネとなりました。
16歳で留学は早い?遅い?
10代のうちにたった一人で海外に行くことは強くお勧めします。
もし16歳でも行くチャンスがあるのなら行くことを強く勧めます。
当時身に付いたものといえばYeahの発音が物凄く良くなったくらい?
こんなことを言うと親に怒られるかもですが、しかし1ヶ月程度で身につけられるのはその程度のはずです。
長いように見える人生でも留学できるチャンスっていうのは本当に限られています。
高校は早いから大学からなんて思ってたら、仮に奨学金借りてひ1人暮らしなんてしていようもんなら、よほど実家の支援を得られていない限り厳しいかもしれません。
さらには社会人になってからなんて考えると、のちのその会社での出世を捨てるリスクを負わないといけなかったりします。
なんなら都合よくお金があってすんなり留学できる人なんていないのです。
何かしら壁がいくつもでてくるのが海外留学。後回しにすればするほどどんどん可能性が遠ざかってくるので、タイミングがあれば早いうちに留学をすることをお勧めします。
アメリカ留学体験談、16歳の思い出まとめ
私の原点である初めてのロサンゼルス留学の体験談を紹介しました。
いかがでしたか。
国際的な仕事をしたいといった漠然とした夢を抱えていた私ですが、無事にその後空港国際線及び外資系航空会社に勤めることができました。
もちろん紆余曲折、一筋縄でいくものではありませんでしたが、諦めなければ夢は叶うということと、どんな時も勇気を出して行動することが大事であると感じています。
私にとって16歳のこの海外留学へ行く勇気がなければ、今の夢も叶えられていなかったかもしれません。それを考えるとぞっとします。
とりあえず、夢を持って留学するのであれば、恥ずかしがらず相談する勇気と、決断力だと思います。