私はカラサとメルボルン、2つの都市でオーストラリア・ワーキングホリデーを滞在していました。
オーストラリアにワーキングホリデービザで来る日本人の大半はお金を稼ぐことが目的だと思うので、私のオーストラリアでの実際の就労体験を話したいと思います。
オーストリア・ワーキングホリデーでの現地生活について
カラサ編
まず、カラサはオーストラリアの北西に位置していて国内では一番時給が高いと有名です。
私は現地にいた日本人の人に連絡を取って部屋を確保してもらい、実際二ヶ月くらい滞在しました。
「freestyle traveler カラサ」で検索してもらえればブログが出るので私はその管理人さんにコンタクトしてみました。
現地ではCiao Bella Grillで働いていました。
中国人のおばさんが経営していて履歴書を持っていけばおそらく雇ってくれます。
私はキッチンの経験があったのでパスタだけ作るコックの仕事をもらいました。
時給はおそらく2000円くらい、当時の最低賃金レベル。
でもそれは最初だけ、シフトはバラバラで一日3~4時間勤務や、私の場合は一ヶ月でシフトの連絡が来なくなり事実上クビになりました。
中国人のおばさんが経営しているのはその店と隣にある寿司店Noodle Barでかなりの頻度で新しい人を雇ってるので能力がないとそのうち連絡が来なくなリます。
能力というのはレストランでの実務経験と英語ですね。あとはそのおばさんに取り入る中国語とか。
実際に私の一ヶ月前に入った日本人が一人いてその人は英語と中国語が話せたので特にレストランでの経験はないですがお店のフロントマネージャーになっていて毎日フルタイムで働いていました、月収はすごいでしょうね。
私の場合はうろ覚えですがだいたい16,17万くらいでした。
毎日ではなく週3、4の一日4~6時間程度です。
皆さんもカラサに来た際はその店に寄ってみてください、おそらく仕事がもらえます。
オーストラリアのワーキングホリデー生活、メルボルン編
続いてメルボルンでのアルバイトについて。
私は「DENGON NET」に求人を掲載していた「Aarons outdoor living」で働いていました。
仕事は工場でCubby Housesを組み立てるための木材パーツを1セットごとに集めてパッキングする仕事です。
時給は21.61豪ドルで平日朝7時半~15時半までの週5勤務でした。
そのエージェントにはオーストラリア人と日本人が半々で仕事は色々パート分けされているのですが、全員で30人くらいですかね。
仕事自体は全然難しくありませんでした。今日納品するセットの説明書みたいな紙をもらって工場にあるパーツを集めてくるだけ。
ただ一つ一つの資材がデカイので二人で持ってきます。
たまに説明書が全て英語なのでどの資材なのかわからず責任者みたいなお兄さんに聞きに行くと忙しそうで聞けず(また私は英語力がなかったので話があまり進展せず)。
基本、職場のオーストラリア人はみんな良い人ばかりで、間違いなく1セットパッキングを終えて報告しに行くと「Thank you! Perfect!」とかものすごく褒めてくれる(資材を集めるだけのとても簡単な仕事なんですが)。
ただ私は一ヶ月も経たないうちに辞めてしまいました(正確には連絡なしでそのまま退職)。
一緒のチームの日本人と合わず毎日喧嘩でいざこざが絶えませんでした。
そのうち行くのが億劫になり、いろんなことを理由に行かなくなりました、私はダメ人間でしたね。
メルボルンは移民が多いことからアジア人を街で頻繁に見かけます。
実際に私が住んでいた部屋も韓国人が管理していました。
カラサはもう行きたくありませんが、メルボルンは良かったと思います。
オーストラリア人が話す英語はアメリカやイギリス英語と違うので注意したほうがいいかもしれません。
パース近郊でWWOOFをした時、泊めてくれた農場のおじさんがよく晴れた空を見上げて「イットイズナイスダイ!」と言っていました。
「It is nice die/それは良い死だ」と私は思っていて、このジジイは朝から何を言ってるんだと思っていましたが、よくよく聞いたら「It is nice day!」で「良い天気だ!」という意味でした。
オーストリア・ワーキングホリデー留学体験談のまとめ
オーストラリアで仕事を探すといったら履歴書を100件くらいお店にばら撒くなどよく聞きますが、やり方次第では求人サイトを常々見てあまり深く考えずに手当たり次第にメールを送るのが一番の近道で楽な方法ではないでしょうか。
実際私も家を探す時も仕事を探す時も選り好みせずメールを送って最初に反応が来たところで落ち着いています。
オーストラリアにワーホリで来ようと思っている方がいたらそこまで気を張らずにとりあえず目の前のことにチャレンジすることをお勧めします。
そこがあなたにとってダメならまた次を探せばいいんです。そうやって私はオーストラリアを過ごしていました。