みなさん、こんにちはiae留学ネット、オーストラリア担当です。
今回は私のオーストラリアのシドニーでのワーキングホリデー体験談をお伝えします。
オーストラリア、シドニーでのワーキングホリデー体験は私の人生を大きく変えるキッカケになりました。
オーストラリア滞在中にどんなことがあったかを出来る限りお伝えします。
ワーキングホリデーに行くかどうか迷っているあなたに、出発に向けて背中を押すものになれば幸いです。
ワーキングホリデー、オーストラリア滞在中の目的
私はワーキングホリデーでオーストラリアのシドニーに約10か月、滞在しました。
私は大学院1年生で1年間大学を休学し旅立ちました。
オーストラリアでワーキングホリデーを計画した理由は、主に以下の2つでした。
- 英語力の向上: 中学生時代にNOVAに通っていたが、NOVAの倒産とともに英会話学習から離れたため、英会話学習に対して未練があった。ちなみにワーキングホリデー前のTOEICは650点。
- 人生経験: 小学校・中学校・高校・大学・大学院と何も考えずに進学したので、社会人になる前に世界を広げたかった。平たく言うと、もう少し遊びたかった。
出国前準備
ワーキングホリデーに行くと決めたのはオーストラリアに向け出国するちょうど1年前でした。
そこからワーキングホリデー準備を始めました。
まず、ビザの申請、語学学校の決定、エージェント探しをインターネットで、次にオーストラリアでワーキングホリデー経験のある大学のサークルの先輩に話を聞き、リサーチしました。
その結果、ワーキングホリデービザの申請は自分ですることにしました。
国内のエージェントにはワーキングホリデービザの申請等様々なサポートを提供するエージェントがありましたが、入会金が約20万円と高いため入会しませんでした。
その代わりにオーストラリア・シドニーの現地エージェントにお願いすることとしました。現地エージェントは語学学校決定について、現地到着後に数校見学の後に入学校を決定してもよいと提案してくれました。
出国前にこの現地エージェントに支払った金額は1か月分のホームステイ料金+仲介料の約12万円のみで、入会金等は請求されませんでした。
この現地エージェントは語学学校からの紹介料で経営を成り立たせているようでした。
いざ出国、そして語学学校入学
オーストラリア入国の次の日にシドニー・マンリービーチ近くの語学学校3校を見学、その中からKaplan International Manly校に入学しました。
Kaplan International Manlyはマンリービーチの目の前にあり、2階のバルコニーからはオーシャンビューが望めました。
早速入学初日にクラス分けのテストを受けたところ、私は中級クラスに振り分けられました。クラスメイトに日本人及びアジア人はおらず、ヨーロッパ系とラテン系だけでした。
言語の親和性の差から、一般的に彼らヨーロッパ系やラテン系に比べると日本人は英語が不得意ですが、授業が進むうちに日本人が英語が不得意なのは言語の親和性の差だけでないことがわかりました。
彼らヨーロッパ系やラテン系の授業への望み方が日本人のそれとは異なり、先生と会話するような形で積極的に発言していました。つまり、英語力の前に「話す」こと自体に差があったのです。
最初の1週間は全く話せませんでした。一日中じっと先生とほかのクラスメイトが会話するのを聞いているだけでした。これではだめだと思い、次の週からは積極的に話すようにしました。
語学学校での3か月の英語レッスン
2週目からはとにかく話すことを意識して授業に臨みました。
また、授業後にクラスメイトとビーチやバーに行き積極的にコミュニケーションをとるようにしました。
特にスイス人のクラスメイトとバーに繰り出すのは楽しかったです。お酒を飲むといい意味でタガが外れ、授業中よりも積極的に話すことができました。
英語だけでなくスイス系ドイツ語もすこし覚えることができました。
毎日のように授業後にバーに繰り出し、ビールを飲み、ビーチで寝て、またビールを飲み、という生活を1か月続けたところ、かなりのペースでお金が無くなりました。
また、ワーキングホリデーの最初1か月間はホームステイしていたのですが、かなりの頻度で夕食をすっぽかしたので、エージェントに報告され、注意を受けてしまいました。
当時は自分のことしか考えておらず、ワーキングホリデーを楽しむためには仕方がないと自分を正当化していましたが、今ではホストファミリーを不快な気持ちにさせたことを申し訳なく思っています。
海外での初めてのアルバイト
ワーキングホリデー最初の1か月飲んだくれていたため、結構なスピードでお金が無くなっていきました。
それに危機感を覚えたため飲食店でのアルバイトを探しました。シドニーにはたくさんのジャパニーズレストラン、ジャパレスがありましたが、できるだけいろんな国の人が働いているところがいいと考え、ローカルレストランの仕事を探しました。
自分でレジュメを作り、飲食店に足を運び、レジュメを手渡しするという日本とは異なるやり方で仕事を探しました。
幸運にも仕事を探し始めたのが初夏だったため、人手不足もあり、Manlyビーチすぐそばのメキシコ料理店にキッチンハンドとして雇っていただきました。
メキシコ料理店にレジュメを持っていたところ、明後日の午後4時に来い、と一言言われ、約束通りにいくと、ここで皿を洗い続けろ、と言われ、10時まで皿を洗い続けました。今までやったバイトの中で一番きつかったです。
アルバイトを始めて最初の2週間は週3日働いていましたが3週目からは週5日のシフトで働きました。
12月下旬にタスマニア旅行を予定していたので、料理長に2週間の休みがほしいと話したところ、ハイシーズンに休みを取るのはあり得ない、ということで12月中旬まででやめることにしました。
タスマニア旅行
12月下旬に3か月通った語学学校を卒業し、その次の週から語学学校で知り合った日本人の友人とともにタスマニア旅行に行きました。約一週間でマイクロバスに乗ってタスマニアを一周するというツアー旅行でした。
ツアー参加者には様々な国の方がいました。その中でも香港人とスイス人、オーストラリア人、ベルギー人と仲良くなりました。
そのころには私の英会話力と話すこと自体の能力向上しており、様々な話ができました。
どういう仕事をしているのか、自国の政治はどんなかんじか、など入国当初ではできなかった会話を楽しむことができました。
特にベルギー人は語学が堪能で、母国語のフランス語、ダッチ、英語を話すことができ、仕事ではフランス語を使っているとのことでした。
このベルギー人からは第二言語として英語をどのように話せばよいかを学ぶことができました。
ネイティブに比べ、話すスピードが遅く、しかし、語彙力はネイティブ並みなので、そのベルギー人の話す様々な単語やその組み合わせ方を真似しました。
現在仕事で英語を話すことがありますが、この時覚えた組み合わせ方がベースになっています。
オーストラリア・ワーキングホリデー留学体験談まとめ
ワーキングホリデーの目的である「英語力の向上」と「人生経験」を体験しています。
私は人生経験を積みながら英語力も向上できるのがワーキングホリデーだと実感しています。