みなさんこんにちは、iae留学ネットです。

私は中学生の時に学校のプログラムで、2週間ニュージーランドに語学留学(@RELA)をした時に、英語をもっと話せるようになりたい!と思うようになりました。

子供のころからなんとなく英会話をやっていたのですが、日本の英会話スクールは結局のところ、

「How are you?」
「I’m fine thank you, and you?」

という、俗にいう教科書英語ですので、ネイティブとの会話は皆無に等しかったです。

オーストラリアへ留学

中高一貫校だったのでそのまま高校へあがり、1年間交換留学をするコースに入り、高校1年生も終盤の1月、オーストラリアへ旅立ちました。

最初はシドニー(マンリー)にあるNavitas English という語学学校で1か月間、英語を勉強しました。

日本各地から集まった同い年くらいの高校生30人が2つのクラスに分かれて、朝早くから15時くらいまで英語を勉強します。

授業は主に、スピーキングの練習でした。

アジア人、特に日本人は文法がよくできるけどスピーキングやリスニングに弱いといわれています。

これから現地の高校で、現地の生徒と同じように勉強するにあたっては必要不可欠だったと思います。

まず、先生が何を言っているか理解できない、というところから始まりました。

私の日本の高校ではネイティブの先生の授業がたくさんあり、慣れていたはずなのに言葉がすべてエイリアン語!

語学学校Navitasは本当に多国籍で、たくさんのインターナショナルなお友達もできました。

面白いことに私たちの教室を午後〜夜のクラスで使う韓国人と、5年後にブリスベンで再開することになったんです、縁ってすごいですよね!

最高の立地に癒される


初めての長期海外、もう後戻りはできない。

聞こえてくるのはエイリアン語。

新しい環境と合わない食事に幼いながら心身ともに少し疲れてきたな、って感じることもありました。

これはたぶん30人共通してあったと思います(中には体調を崩す人もいました)。

しかし、この語学学校Navitas English Manly校は、なんとマンリービーチのすぐ傍!

教室からあのコバルトブルーに輝くビーチが一望できちゃうのです!

教室のテラスにでてみんなでお昼食べながら鬱憤を晴らすのに最高な場所でした!

土日は学校がお休みなので、毎週みんなで観光に行ったり、BBQをしたりしました!
(もちろんホストファミリーと過ごす人もいました)

普段はみんなバスを使って通学するのは20分くらいなのですが、オペラハウスなどがあるシティ方面はフェリーで行くのが早いのです!

マンリーからシドニーのCircular Quayまで約30分なのですが、途中にはダーリングハーバー、ザロックス、オペラハウスやハーバーブリッジが一望できるのです(インスタスポット、映えますよ)。

心地よい海風を浴びながら、観光スポットが海に浮かんでいる光景を一気に見ることができます!

心配なホームステイ、ホストファミリーとの生活はどんな感じ?

上で書いたように、休日はホストファミリーと過ごす人もいるなか、私はあまり一緒に過ごさなかったように思います(仲が悪かったわけではありません!)。

というのも、ホストマザー、シスター、ブラザー、スイスからの留学生、というシングルマザーの家庭でした。

マザーは仕事で忙しく、いつも朝早く家を出て遅くに帰ってくる、シスターとブラザーはマンリービーチやボンダイビーチでライフセーバーをしていました。
(学校がお休みだったためアルバイト漬け!)

スイスからの留学生も旅行に行ったり、クラブに行ったりと忙しかったです。

みんな休日の予定が合わなくて、入れ違いが多かったです。

しかし、そんな中でもコミュニケーションは欠かすことはありませんでした!

それは、夕食は全員で食べるということ!

成人しているスイス人の留学生以外は夜ごはんは必ず一緒に食べるというのがルールで、更にコンピュータは一日1時間だけ、部屋でパソコン禁止と、教育方針はしっかりしている家庭でした。

忙しい中にもこうやって交流する時間があったからこそ、今でもメールを送ったりFacebookを見たり、連絡はとり続けています。

特に仲が良かった同じ留学生だったスイス人のお友達は、なんとスイスに戻った後、お医者さんになりました!

オーストラリアの語学学校に通った感想

この時の1か月間は2回目の海外ということもあり、ルンルン、ワクワク、ドキドキという楽しい気持ちしかなかったのが事実です。

今も連絡を取り合う、あの時一緒に頑張った30人の同期、私の拙い英語を理解してくれようとしたホストファミリー、沢山スイスのことを教えてくれたお姉ちゃん、そして5年後ブリスベンで再会したお友達、すべての出会いに感謝しています。

もちろん1か月で英語が話せるようになるわけもなく、耳も慣れていないまま向かった現地の高校で、私はこの後人生を変える出会い、人格形成、1リットル以上もの涙を流す、ということも知らずに、新しい土地へ飛びました。